すこやかボディーケア整体院のスタッフ紹介
院長 井草 義継
私は鉄工関係の会社に勤務していたのですが、ちょうど30歳になった時に施術家の道に進みました。
仕事で腰がボロボロに
私はこの仕事に就く前は鉄工関係の会社に勤務していました。
そしてちょうど30歳になった時に施術家の道に進むことになりました。
その当時勤めていた会社はとても忙しく、日勤・夜勤と昼夜連続で勤務することもよくあり、肉体労働も多く、腰に負担を掛け続けていました。
そのためギックリ腰や慢性腰痛を繰り返し、腰椎椎間板ヘルニアを発症。
そしてそれが進行して腰部脊柱管狭窄症を患うようになっていきました。
入院、そして手術
私は整形外科に通い、仙骨硬膜外ブロック注射とリハビリを続けながらなんとか仕事を続けていました。
そしてある日の夜、買い物に行こうと車に乗った瞬間、今まで経験したことのないような激痛が走りました。
その瞬間「これはヤバイ!早く何とかしないと会社の人に迷惑が掛かる!」と思い、私はすぐに病院へ電話しました。
そして救急でやっとの思いで病院にたどり着きましたが、担当の先生から「この状態で帰っては危ないから入院しなさい!」と言われ、私もあまりの痛さに仕事は不可能だと悟り、会社の人に連絡してそのまま入院しました。
初めの3日間くらいは右脚の激痛が絶え間なく続き、私はそのあまりの辛さから心の中で「右脚を切断してくれ」と叫びたい気持ちでした。
入院中は点滴と週に1回の神経根ブロック注射を行っていましたが、効いても1時間ほどで、そのブロック注射もかなりの痛みと気持ち悪さが伴うので、注射を打つ月曜日が近づいてくると憂鬱な気持ちになっていました。
そして苦痛に耐えながらもブロック注射を4、5回行いましたが、回復の兆しがありませんでした。
私はあの絶え間ない激痛がまた再発してしまう恐怖にかられ、手術することを決断しました。
手術後はあの激痛の元となっている神経の圧迫が取り除かれたという安心感は得られましたが、手術後も腰痛、右脚のシビレは残ったままだったのです。
施術家の道へ進むことに
退院してしばらくしたある日、整体の仕事をしている友人から何年かぶりに電話があり「腰の手術をしたらしいね?具合みてあげるからうち来る?」ということで、早速その友人のところに行きました。
そして何度か施術を受けているうちに「あれ?腰痛くないぞ!あれ?右脚のシビレが治まっているぞ!」と気づいていきました。
「整体ってすごいな!素晴らしい仕事だな!」と心の底から思い始めました。
そして気がつくとこの業界の門を叩いていました。
その友人の一本の電話が私の人生の転機となったのです。
全国の腰痛などで苦しむ方のために
私もその友人のように「腰痛などで苦しんでいる方の役に立ちたい」と思い、専門学校に通いながら整体・カイロプラクティック院、接骨院や整形外科などで修行し、その10年後にすこやか整骨院を独立開業しました。
そして更に身体のバランスを五感系統や自律神経などからもトータル的にアプローチしていくべく、すこやかボディーケア整体院を併設しました。
クライアントさんに触れるたびに、自分が腰痛に苦しみ辛かった日のこと、修行時代のことを思い出します。
そしてクライアントさんに私のようなつらい想いをさせたくない一心で今もセミナーや勉強会に参加し、よりよい施術を提供できるよう日々努力しています。
椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症の中・重症にあたるものは手術しなければ治らないといわれていますが、保存療法で改善されるものもあるのです。
私はその役割を担っていくべく、日々研鑽に当たっていく所存です。
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アシスタント紹介
すこやかボディーケア整体院で使用している施術機器の紹介